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〜もぐもぐ共和国を始めるまで〜

私は、平成9年に結婚し大阪へ引っ越してきました。平成10年に実家のある愛媛県で出産し、1ヶ月たってから大阪に戻ってきました。こちらで仕事をしていたわけでなく,出産も実家でしたので、知り合いも友達もいない中,たった一人で育児をしていました。

離乳食の開始時期がきて,卵の入った料理を食べさせたとたんに体中に湿疹ができ、心配になったので近所の小児科に連れて行くと,「アトピーですね」といわれ、具体的な指示もなく塗り薬を出されました。当時、私は深く考えずに、なんとなく出された薬を子供に塗りつづけていました。その病院の先生は、いつも薬をぽんと出すだけで、なんとなく信用できなかったので、今度は皮膚科に変えたり、また別の小児科に行ってみたりと、私は完全な『アトピージプシー』になっていました。

子供の症状は一進一退、たった一人、密室で育児をしていることも加わって、だんだんと私の気持ちは沈んでいきました。子供が泣くと「この世に生まれてきたことを儚んでいるのではないか」「勝手に生んだことを恨んでいるのではないか」という発想になり、子供と一緒に何度も泣いていました。

そんな時、見かねた近所の方が、場所を提供し育児サークルをつくり、私に声をかけてくださいました。そのサークルで知り合ったほかのお母さんに、「アレルギー外来」というものの存在を教えてもらい、少し遠くではありましたが、通院することに決めました。
初めて出会うアレルギーのスペシャリストは、新米の母親である私にも、何がアレルゲンなのか、これからどうすればいいのかを丁寧に教えてくださり、そこで初めて『除去食』の指導を受けることとなったのです。

ただ、除去食指導と言っても,「卵の代わりに〜を食べてください、とかチャーハンの中の卵をよけただけではいけないですよ、とかまな板とか包丁などの調理器具やお皿は、アレルギーの子供専用を準備して,卵に一切触れさせないようにしてください。」と言った程度のもので、この頃はアレルゲン除去食品の存在は知りませんでした。

参加し始めた育児サークルで、みんながクッキーを食べているときでも、自分の子供はおせんべいを食べなくてはいけない。プリンを食べているときは,ゼリーを食べなくてはいけない…、段々とお友達といっしょにおやつを食べさせることがかわいそうに思えてきて、おやつの時間前に、サークルを早退する日が多くなっていきました。

アレルギーの子供を連れての外出も,簡単なものではありませんでした。
お子様ランチに入っている、オムライス,から揚げ、エビフライ、プリン、スパゲティー、卵や鶏肉が混入している可能性があります。
食事の時間になったら自宅へ戻り,手作りで除去食を作らなければならず、外食はとてもできる状態ではありませんでした。

さらに私を悩ませたのは、周りの無理解でした。
私の周りには今までアレルギーで困っていた人がいなかったため、アレルギーの知識が全くと言っていいほど無く、「あんたが神経質にやっているから食べられなくなる」とか「食べさせて慣れさせないとだめだ」と言って、何度も卵を食べさせようとしました。当時、子供はアレルギーのピークの時期で、卵を食べると呼吸困難を起こすまでになっていて、実際に何度か救急病院に駆け込んだことがありました。

私は何冊もアレルギーに関する本を購入、,読みふけっていました。何とかして子供を良くしてあげたい、みんなと同じものを食べさせてあげたいという思いは日に日に強くなっていきました。

何日かたったある日、一冊の育児雑誌で、卵を使っていないマヨネーズの存在を知りました。
そこに書いてあった、メーカーの連絡先に電話をし、大阪市内ならどこで手に入るかを聞き、実際にそのお店まで出かけ、購入し、初めて子供にポテトサラダを食べさせることができました。

「あぁ、この子も人と同じものが食べられるんだ!!」とうれしさがこみ上げました。
そのお店は、私の住んでいる所からは遠く、車を持たず、子供を抱えて買い物に行く私には、 とても大変なことでしたが,子供が食べられるならと言う気持ちが、そのお店に足を運ばせていました。
その後共同購入で卵を使っていないクッキーが販売されている所を知り、そこに加入して、商品を購入していました。

いいお医者さんに出会い、サークルに参加して友達ができ,アレルゲン除去食品の存在を知り、私と子供の生活の質は向上しました。

そしてある日,母から一本の電話がありました。母の友達の娘さんの2人目の子供がアレルギーで、育児ストレスで、田舎に帰ってきているので、連絡をとって、アレルギーの相談に乗ってあげてほしい」と言う内容でした。
2年前の自分を見ているようでした。彼女の気持ちが痛いほどわかるから,何とかしてあげたい、そう思い急いで連絡をとりました。2人目出産後、広島に引越し,友達がいないままアレルギーと向き合っている彼女はまさに2年前の私と同じ状況だったのです。初対面ではあったのですが,他人事とは思えず,アレルギー外来のある病院へ行くこと,除去食品があること,区役所などに育児サークルがあるかどうか問い合わせて,積極的に外部と接触することを伝えておきました。

私や彼女だけでなく,このようなことで悩んでいる人は全国に大勢いらっしゃると思います。
このことを、何とか解決できないだろうか?
患者さんたちでいいお医者さんの情報を共有できないだろうか?
孤独になってしまわないように、サークルの情報を発信できないだろうか?
アレルゲン除去食品を簡単に手に入れることはできないだろうか?
アレルギーの人用に、レシピを共有できないだろうか?
正しいアレルギーの知識を広めることはできないだろうか?

気が付けば私は,インターネットショップの店長さんが集まる勉強会に飛び込んでいました。
(合資会社逸品の森本氏を始めとする,ショップの大先輩がショップ運営のノウハウを伝授してくださる、うりうり教習所という名前の勉強会です。)
ここに参加して,子供を抱えての外出が困難なお母さんたちにとって一番いいのは、インターネットで情報を発信することだと確信しました。

そして14年3月に大阪府中小企業支援センター「テイクオフ21」認定事業に認定され、もぐもぐ共和国を本格的にスタートさせることとなりました。

サイトを立ち上げるまでに、色々とご尽力いただきました関係者の皆様に、 心からお礼を申し上げたいと思います。

本当にありがとうございました。

もぐもぐ共和国管理人 : 岡田由佳

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